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2022.7.6

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【Vol.73】復帰初戦

2022.7.6

連載:Renoca Adventure

ひとりの挑戦に終止符

2017年、アメリカワイオミング州で開催された世界選手権を最後に、アドベンチャーレース活動を休止。長らく日本を舞台にひとり挑戦を続けた。
昨年8月にその挑戦にも終止符を打つことができ、所属するチームへと戻った。
休止中もチームには在籍を続け、挑戦中も若手がキャプテン田中正人さんと共に海外レースで活躍する姿をいち応援者として見守ってきた。
物理的な距離は時に心の距離にも比例するという教訓から、「挑戦終了後に自分が帰る場所がないのでは…」と実は思い悩むこともあった。
しかし、現実にはそんなことは微塵もなかった。チームからは「待ちくたびれた」というのが正直な気持ちだったようだ。

来るべき時がいよいよやってきた

来るべき時がいよいよやってきた

2022年1月、チーム創設以来25年以上キャプテンとして率いてきた田中正人さんから「キャプテン」の座を譲り受けた。この話を直接いただいたとき、「とうとうこの時が来たか」と率直に思った。
アドベンチャーレースには自らの意思があれば、挑戦することはできる。しかし、キャプテンになるにはそれ以上のモノが必要となる。それはチームから認められること。
なりたくてなれるポジションではない。本人の意思も大切ではあるが、それ以上にチームメンバーからの客観的な判断が必要だ。経験・実績・人間性・成長への伸びしろ、そして期待を込めて。
3月の南アフリカでの国際レース出場を国内外のコロナウイルス感染状況を考慮し、見送る決断をした。その2ヶ月後の5月、奇しくも5年前と同じ舞台、アメリカでのレース参戦へと計画変更を決断した。
5年ぶりのレース。久しぶりの国際レース出場に、準備の段階からレースへの気持ちは高まり、トレーニング量もしっかりと積むことができた。
だが、レースが近づくにつれ、これまでにない緊張と不安が降り積もる。理由は簡単だった。以前までとは違うポジションになったこと、久しぶりのレースにキャプテンとして挑むことへの気負いは否応なしにつきまとった。
レースの詳細を綴るのは、別の機会にするとして、結果は総合2位。復帰戦、新キャプテンとして、結果だけを見れば、上々の船出のように思える。しかし、新キャプテンとしての内容はボロボロだった。それでも、前チームキャプテンは言う「チームワークは最悪だったが、それでもメンバー全員が『状況を良くしよう』と努力したからこれだけの結果が残せたと思う」と。
ただ、努力したメンバー全員の中に新キャプテンは含まれていない。なぜなら、チームワークをかき乱した張本人だからだ。かき乱された他のメンバーの立場なら、「こんなキャプテンについて行けるか!」と投げやりになってもおかしくなかった。
しかし、それでも「名なんとかしなくては!」とチームのためでも、自分のためでも、キャプテンのためでもない、応援してくれる人たちのために戦う強い決意があったからだろう。

振り返る自分の成長

今回のレースで改めて痛感したことそれは「自分が思っているほどの成長には達していなかった」ということだ。 このレースでの経験で着地点を見誤ることがなかったのは、他でもない共に戦ったチームメンバーのおかげだ。 感謝と共に次のレースへと向けてチームは前進を続ける。

振り返る自分の成長
田中陽希さん

著者:田中 陽希YOKI TANAKA

2007年チーム・イーストウインドのトレーニング生となり、2008年4月にトレーニング生を卒業し、正式メンバーとなる。地道なトレーニングで実力をつけ、プロアドベンチャーレーサーとなる。2014~2015年、陸上と海上の両方を人力のみで繋ぎ合わせた『日本百名山ひと筆書き』と『日本2百名山ひと筆書き』に挑戦。現在『日本3百名山ひと筆書き』に挑戦中。